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私がBodyTalkerになるまで(1)トレーナーとしての行き詰まり私がBodyTalkerになるまで(2)模索の時期
完璧主義とも言えるくらいに色々な手法を追い求めていたのには理由がありました。
それは私自身に解決したい問題があったからです。
私は幼少期からアトピー性皮膚炎で、思えば体がかゆくない日はありませんでした。
母親にバスで連れられ皮膚科に通っていたのですが、なかなか良くならず、
良くならないのは自分が悪い、母親に負担をかけてしまっていると子どもごころに思っていました。
ずっとステロイド軟膏を使っていて、何とか症状だけは抑えていたのですが、
それでもひどくなる時もあって、そんなときは夏場でも半袖になるのは嫌でした。
大人になったら治ると言われていたのに、大学生になっても治らず・・・。
この頃は栄養に問題があるのでは?と思い、独学ながら栄養に関する勉強を結構しました。
アレルギー物質を認識し、アレルギー除去も徹底的にやりました。
(そうすると食べられないものがどんどん増えていくことになるのですが・・・あぁ、今だからわかるその理由・・・)
そして社会人になると環境の変化もあってか、症状が更にひどくなってきました。
今までの軟膏では効かなくなってきて、より強い軟膏を使う・・・
そして薬の強度は、いつの間にか最大強度のストロンゲストになっていました。
それでもダメなときはダメで、どうしようもないときはステロイドの内服薬を飲んでいました。
さすがにこれは怖いくらいに効いて、一時的には見違えるくらいきれいになるのですが
副作用の恐れもあって、あまり長期間飲めるものでもありません。
そしてステロイドは根本から治すためのものでなく、症状隠しに過ぎない、
言わば麻薬みたいなものだと気づいていました。
キネシオロジーなら根本の原因がわかるだろうと思って、キネシオロジーを勉強し始めたのはこの頃です。
トレーナーとしてのスキルアップの勉強であると同時に、自分自身の治療のための勉強でもあったのです。
キネシオロジー系の治療を受けつつ、自分でも勉強を重ねました。
ステロイドも自分の意志で止めました。
ところが27歳の時に色々重なって会社を休職しなければならないほど酷い状態になってしまいます。
あまりリアルに書くとすごい文章になってしまうので控えめにしますが、
ほぼ寝たきりで、立ってちゃんと歩けない、腕もちゃんと伸ばせない状態になってしまいました。
関節の内側の皮膚が傷だらけで痛くて伸ばせないのです。
顔も酷い状態で、鏡を見ても誰だかわからない。男女の区別もつかないくらいになっていた記憶があります。
さすがに外にも出られず、会社を3か月間休職します。
なんとか復帰したのですが、その2年後、今度は半年間休まなければならない状態になりました。
この時はさらに症状が酷く、きれいな皮膚の部分は足の裏と手のひらだけ。
表皮が無いような状態なので、シャワーを浴びると上がった直後から激痛に襲われ、
かといって不潔にするわけにもいかず、毎晩究極の選択を強いられながらシャワーを浴びていました。
そんな状態なので、当然気持ちも滅入ってきて、鬱っぽかったんじゃないかと思います。

それもあってか、この時は死のうと思いました。
ベランダで首を吊ろうと思いました。
しかしそんなひどい状態でも笑って支えてくれる妻の顔が頭に浮かび、死ぬのをやめました。
BodyTalkのことを知ったのは、この前後です。
(4)につづく